かべぬり
寛文六(1666)年開版の『古今夷曲集』に、「題しらず」として、まだうゐの左官がよめの化粧には唐の土をや壁塗にぬると詠まれるに至って、左官という用語が一般社会にも完全に定着したというべきでしょう。
しかしながら、そのような転化が一気におし進められたというわけではなく、一七世紀前半は旧来の壁塗等と新しい左官との呼称が混在した時期です。
『本光国師日記』は「左官助三郎」と記した約半月前の元和元年九月三日条で依然「壁塗」と呼び、また同3年11月16日条でも「かべぬり」といっています。
このような呼称の混乱ぶりは次に見る資料でより明瞭に窺える。