壁塗り職を意昧している
『日葡辞書』は、1549年フランシスコ・ザビエルが来日して以来、50余年にわたる宣教師たちの努力の集積によって編纂されたものであって、必ずしも慶長八年の時点での用語がすべて収録されているわけではなかろうが、それでも室町末から桃山初めにかけて、「左官」が壁塗り職の意味に使われていなかったことだけは明らかでしょう。
さて「左官」が壁塗り職の意味で用いられた文献上の初見は、現在知られているかぎり、慶長10(1605)年7月25日付『宇都宮大明神(現、二荒山神社)御建立御勘定目録』の次の記述です。
左官作料永楽三百三十文、但白土紙油共。
白土・紙・油はいずれも奈良時代以来、白璽上塗に必要とされてきた材料であって、ここにいう「左官」が壁塗り職を意昧していることは疑いない。
次に『本光国師日記』元和元(1615)年9月15日条に「左官助三郎上ス」とあるのも比較的早い例でしょう。
降って明暦三(1657)年の幕府による賃銀統制の「触れ」でも「左官」または「上さくわん」と呼ばれていることは第三節に見たとおりです。